避暑地ブラスタギで、温泉に入いる

 メダンの南約70キロにある高原地帯であるブラスタギにバスでやってきた。小さい街だが避暑地として開発された地域なので、メダンの暑さと壮健とは対照的に過ごしやすく街も振るわいを見せている。爽やかな風に吹かれながらフルーツマーケットでオレンジを買い、メインストリートや市場を散策。なかなかいい所だ。

 その後、バスで数分の所にあるという温泉に向かった。到着すると周囲の景色はとても良くちょっとしたリゾートっぽさもあるものの、そこに人はほとんどいない。温泉自体もなんだか貯水槽のような感じでもある(笑)。もしここが日本だったら一大観光地にでもなりそうな場所ではあるがインドネシアでは風呂の習慣がないのだから仕方がない。さっそくなので水着に着替え温泉に浸かってみる、が!結構ぬるい…。なんだか温水プールのような感じ。硫黄の濃度は高そうで体には良さそう、たぶん。プールの様な湯船には、人があまり来ないせいか湯船壁面に藻と硫黄の膜が発生しており、そこから気泡プクプク出たりプチプチヌルヌルしたりで、ちょっとキモかった。そんな気持ちよくてちょっとキモイ温泉だったのだが、久々の風呂だったので結構楽しく堪能してしまった(笑)。

・細い道を行くと… ・そこには温泉が ・ブクブク沸いてます ・鮮やかな花

バスの屋根で風に吹かれて…

 ブラスタギの帰り道、オレ達はバスの屋根で揺られていた。バスに乗ろうとしたところ車内はすでに満員御礼だったので、屋根に乗車したわけだ。バスは曲がりくねった峠道をひたすら走る、顔に受ける風が気持ちいい。

 屋根にはバスの車掌を務める少年も乗車しているのだが、この少年がやたらとカッコイイ。彼はストップ&ゴーのかけ声をかけ、カーブでは口笛を吹いて注意を促す。さらに集金も行う為に、バスの壁づたいに客のお金を徴収しに行く。なぜ壁づたいかと言うと、そもそも車内には人が通れる通路などなく座席が満載されているのだ。そんな威勢良くバスを誘導しスタントばりの軽やかさでバスの上を縦横無尽に動きまわるさまに、なんだかホレボレしてしまった。もしかしたら憧れの職業なのかもしれない。というかnoriさんがインドネシアに生まれたら是非やってみたい(笑)。


■■■メダン事情ミニコラム■■■

コウモリ売りの少年
10年ほど前に書かれたメダンのガイドブックに凄い写真があった。少年が巨大なコウモリを何羽もぶら下げて商売をしていたのだ。今回の旅行中もコウモリ売りの少年は今もいるのだろうか、と疑問に思っていたのだが、ブラスタギからバスでの帰り道についにそれを発見した。そこは家がまばらに点在する山奥の小さな村だったのだが、ところどころの家の前に大きな籠がありその中には巨大なコウモリがたくさんぶら下がっていたのだ。およそ体長50センチ、おそらく羽を広げると1メートルくらいにはなりそう。きっと今でも一部の地域では食用とされているのだろう。



軍事博物館ブキッバリサン

 「ああっとそこを右だ、違うここでUターンだ、あそこの向こう側だ」ベチャマシーンで移動するが、この運転手まったく道をわかってない。運転手を誘導しどうにかこうにか辿り着いた場所は、軍事博物館ブキッバリサン。ここには、日本、インドネシア、オランダ、そして連合国軍の兵器が展示されている。各展示室には鍵が掛けられており二人の軍人が案内してくれる、案内といってもそれ程兵器について詳しいわけでもなく、要はここの管理人のような感じだ、しかも一緒に遊んでもくれる(笑)。

 かつてインドネシア独立戦争で使用された旗や、日本軍の軍刀や南部式拳銃なども展示されていた。それはインドネシア独立戦争に多くの日本兵がインドネシアの為に協力した物だ。戦争となるとどうしても負の面ばかりが強調されてしまうが、インドネシア独立戦争を戦わなければ現在のインドネシアはまったく別の物になってしまったはずなのだ。実際、蘭領インドに含まれていたイリアンジャヤ(西ニューギニア)はハーグ協定後も引き続きオランダの統治が続き、東チモールにいたってはポルトガル領だったという理由だけでついにインドネシアに戻らなかったのだから…。

■■■メダン事情ミニコラム■■■

インドネシアの独立を目指したPETA義勇軍と日本兵
インドネシアは350年間の長きにわたってオランダの植民地にされてきた、オランダは白人を現地人の及びもつかない高等な人種と思わせ、徹底した愚民政策をとりインドネシアから搾取し続けたのである。しかし事態は一変する、1942年3月に大東亜解放を目指し日本軍がジャワ島に侵攻しオランダ人をわずか9日間で駆逐することに成功してしまったのだから。やがて日本軍が町や村へ来ると民衆の大歓迎を受ける、それは独立を熱望していたインドネシア人に伝わる「白馬に跨る英雄の率いる神兵が渡来して、インドネシアの独立を援けてくれる」という伝説そのままだったのだから。無論、白馬は天皇の馬そのものだった。

やがて日本軍はインドネシア独立を約束し、次々と革命を起すことになる。
■祖国防衛義勇軍PETAを創設、後の独立戦争の中核を担う。
■幽閉されていた独立運動の指導者スカルノ、ハッタを解放し、インドネシア側代表の位置につけた。
■イスラム教に対する制約を撤廃し、マシュミ(インドネシア回教連合会)を創設、イスラム教の指導者達が初めて直接話ができるようにした。
■インドネシアの教育に力を入れ、これによりおよそ300以上とも言われる言語を統一させインドネシア語の普及と発展に貢献した。
■新聞「インドネシア・ラヤ」の発刊

これらのことは、今まで農業だけに順次していたインドネシア人にとって大きな独立への自信と希望を持たせることになった。

1945年8月15日、日本は敗戦となってしまうが、その2日後に後の正副大統領スカルノとハッタは急遽インドネシア独立を宣言する。しかしそこからが死闘の始まりであった。オランダはインドネシアを再植民地化しようと再び軍隊を送り込んできたのだから。日本の残留兵は「大東亜の解放ならずして祖国に帰れるか」と、約二千人が現地に残り、インドネシア人を叱咤激賞しながらも共にインドネシア独立の為に戦った。その戦いで日本兵は指導者的立場にあったため、最前線に立ち、死亡する確率も高くその半数以上は戦死してしまう。戦争は4年5ヶ月もの長期となり凄惨を極めたが、最後にはオランダに勝利し、悲願のインドネシア独立は達成された。



メダン、それは人々との出会いの旅だった

 ミニバスでジャランパダンブーランに行ってみる。ここはガイドブックに載らないようなストリートだが、本来のメダンの生活感にあふれる地域だ。ちなみに、ここでの外国人はどうも珍しい存在らしく方々で注目を集めてしまった。

 モスク前を通りかかると、広場で子供達の「コーラン朗読コンテスト」が行われていた。noriさんbenちゃんもしばし客席でその様子を見物する。ところが突然の外国人が来たとのことで観客席はコーランよりもオレ達の方が気になるみたいで方々からこちらに手を振られてしまい、まるで天皇観覧といった状態になってしまったので、みんなの写真をバシバシ撮ってそこを後にする。路地に入って、中学校を覗いてみると生徒がオレ達を発見し、クラス中がキャーキャーな大変な状態になってしまった、写真を撮りフラッシュを炊くとまたまた大歓声、もしかしてオレ達F4を越えたかもしれない(台湾の人気アイドルF4、インドネシアでも知名度は高い)。フルーツ屋では店のオヤジに南国フルーツについてをひとつひとつ教えてもらい、大学前の貸しマンガ屋台の前では英語が堪能なムスリムギャルたちにとても親切にしていただいた。歩くたびにエピソードがあり、とても楽しい出会いの一日だった。

 その夜、明日の朝にここを離れる為、すっかり顔なじみになっていたビデオCD屋の娘と、毎日食べに行っていた食堂の、ダウンタウンの浜ちゃん似の彼に別れを告げに行った。

いい思い出をありがとう、さよならメダンの街よ…。

シンガポールで再び韓国人と遭遇

 飛行機の乗り継ぎで立ち寄ったシンガポール、とりあえず半日しかないのでいそいそとMRTに乗り込みアラブ人街とインド人街を廻る。この国はかなり綺麗な道とビルが建ち並んでおり日本のそれとほとんど変わらない。やたらと綺麗なインド式カレー屋でメシを食い、電気ビル、オーチャードロードを一気に廻り、最後にマーライオンの夜景を観てから再びMRTで空港に戻ることにした。

 MRTの途中駅で空港行きを待っていると、どこからともなく韓国語が聞こえてきた。そこには女の子二人組がバックパックと大きな荷物をかかえていた。noriさんも嬉しくなり韓国語で話しかけてみる、すると一人の娘が日本語が話せることがわかった。彼女たちも同様にバックパッカーだという。同じバックパッカー同士という親近感で話ははずむ。彼女たちは会社をやめて2ヶ月の旅をエジプト〜ヨルダン〜トルコ〜シンガポールと廻ってきたという。韓国人にしてはめずらしいタイプだけどこれからはこういった韓国人バックパッカーも増えていくのかもしれない。

 やがて空港駅に着くと、彼女たちは購入した荷物の税金の払い戻しに行き、noriさんbenちゃんはクロークに荷物を取りにいった。「空港内でまた会おう」そう言って一時別れたものの、広い空港内で彼女たちが何処に行ったのかまったくわからなくなってしまった。やがてソウル行き便の出発時刻がせまり、同じく成田行きの便の時間もせまった。オレ達は、名前も連絡先も告げずに成田行きの飛行機に乗り込んだ…。


・インド様式と近代的ビル ・アラブ人街 ・自動水洗インド式トイレ ・マーライオン
 


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