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コタキナバル
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マレーシア&バングラデシュ旅行記

ダッカの空港で野宿ってか?

バングラデシュのダッカの空港に到着したノリさんとベンちゃん。時刻はすっかり真夜中
空港の扉の外では恐ろしいことに、おびただしい数の人がガラスの扉にビッタ〜〜〜っと顔を貼り付け、ガラス越しの俺達をジッと凝視している。もうなにやら完璧にヤバそうな状態。こんな時間に外に出たら、たとえ天使のようなノリさんであっても、めたくそボラれまくったあげく、いい感じにカモねぎ状態にされるのは間違いないだろう。正に暗黒の世界にまっしぐら!。第一、今から宿を探すのなんて無理だろうし…。
仕方がないので今日は空港で野宿することにした。そうすれば宿代も浮くし不気味な街に出ないですむし。まぁベンちゃんはともかくとして、育ちのいいノリさんも仕方が無くそうする。それにしても久し振りの野宿だ。(ってか、やってたんかい!)
ノリさんとベンちゃんは壁際の床に寝っ転がった。しかしまだまだ安心はできない。この空港には蚊が異常に飛び交っていたのだ。なるべく肌を露出しないように服を被り、防虫スプレーも使ってみるが、すでに服の上からも大量に刺されてしまっていた。蚊の絨毯爆撃を受けながらもノリさんとベンちゃんは死体のように眠りについたのであった…。

翌朝、目覚めて空港の外に出てみる。バスで市内へ向かうつもりだったが、いざバスが来ると信じられないくらいの人がバスに乗り込もうとしていた。押し合いへし合い大変だ!ほとんど乗車率は200%。バスはまだ乗りきっていない乗客を振り落としながら走り去って行く。次々にバスは来るけれどとても乗れる状態ではなかった。あれに乗ったら命の保証は無いだろう。
仕方なくベビータクシー(トゥクトゥクのようなヤツ)でダッカの中心地グリスタンに向かうことにした。

恐怖の街ダッカ

ダッカの中心地グリスタン。噂に聞いたがすごい街だ。まるでこの世の終わりのようにもみえる。 通りは、人、車、リキシャ、犬、牛、馬車、大八車、で埋め尽くされ街中が排気ガスや埃で白く霧がかったように淀んでいた。とにかくリキシャの数が半端じゃな〜い!!インドの人口密度も凄かったけどそれより凄いかも…。こんなところでまともな観光なんて出来るのか?!。正直地獄絵図を見ている気がしてくるよ…。
そうは言っても今はまだマシな方で、雨季にもなると強烈な高温にサイクロンと呼ばれる台風の影響で国土の3分の1は水没するって言うんだから凄いよ。本当によく国として成り立っているよな〜。

街を歩いてみると次から次に人やらリキシャが押し寄せて来て、つねに突っつかれるように歩かなくてはならなず、もう観光してるんだか、単に歩かされているんだか…。すごい人口密度。車はクラクションは慣らしっぱなし。ほとんど観光どころじゃな〜〜い!。
立ち止まって休憩していると、次から次に人がやってきては取り囲まれてしまう。どうも外国人が珍しいようで、あっと言う間に人が集ってしまう。もうみんなの視線を釘付けだぜ!。どこへ行っても人は集まる。つねに見られる。それにしても君たち俺らがそんなに珍しいのかよ!?
とある一人の少年は俺達のことをまるでETでも発見したかのようにどこまでも後をついて来た。もしかして俺達が初めて見る外国人だったのかもね…。はたして、この街で安らげる場所あるのか?

ショドルガットのアーロンさん

腹がへったので俺達は戦後闇市場のような食堂に入った。カレーを注文してみる。なんだかインドのカレーより辛めな感じだ。あたりを見渡すと他の客はみんな緑色のジュースのような飲み物を飲んでいた。とりあえず俺達も同じものを注文してみる。飲んでみると、
「おおおおおおおおおぇぇ〜〜〜〜〜」ううう、きょ〜強烈。例えて言うと、漬け物の汁を飲んでいるようなヤバいドリンクだった。ゲテモノ料理の美食家である、俺達も完璧に飲み干すことは出来なかった。

店を出て、近くにある店の前でコーラを飲んだ。するとまたまた人が集まってきてしまった。こまったな〜、と思っていると後ろの方から日本語の声がした。
「あなた達日本人でショ ここはあぶないでショ」
そう言うと、彼は人が集まらない場所まで非難させてくれた。 彼はバングラ人のアーロンさん。どことなく顔がビートたけしに似ていて、いきなり「コマネチ」でもやりそうな雰囲気をかもしだしているいい感じの人だった。10年間ほど日本で働いた経験があり、日本語はひたすら喋って憶えたという。
俺達はアーロンさんの案内で、ブリガンガ川に面する港、ショドルガットを見物しに行くことにした。

ここはダッカの中心港として栄えている場所だ。3階建ての大きな客船が停泊していたり、その回りには人を満載している小さな舟や手漕ぎの舟が無数に行き来している。とにかくどこにでも人が密集している国のようだ(笑)。
アーロンさんは手漕ぎの舟をチャーターして、川を一巡りする事となった。決してきれいとは言えない川で洗濯をしている人や、水浴びをしている人達がたくさんいる。その前を俺たちの舟は進む。当然みんなの視線を集めてしまう。中には俺達の舟を追いかけて泳いで来る子供達までいた。

バングラについての質問

その後、アーロンさんと一緒に食堂に入った。
「私はね日本に10年いたよ、日本ではホントに遊んで遊んでたよ」
日本での生活はとても楽しかったと言うアーロンさん。
「日本は本当にいい国でしょ、私、とてもお世話になったよ、それに、私の中ではね、日本人と神様は同じぐらい感謝してるよ」
日本で貯めたお金で、小さいビルを買ったアーロンさん。今は家族ともども幸せに暮らしている。
そんなアーロンさんのお気に入りの歌手は吉幾三。日本人の友人に無理言ってコンサートに連れてってもらい、吉幾三本人に握手してもらったのが自慢だそうな。特に「オラ東京にいぐだ」が大好き。きっとバングラから日本にわたって行った自分の姿を重ね合わせているのかもしれない。

俺は今まで疑問に思っていたバングラについての素朴な疑問を質問してみた。
「どうして道路の真ん中に寝ている人がいたりするの?」
「それはね、あいつらバカでしょ、仕方ないでしょ」
「はぁ、まあ。それとこっちの人は川の水を飲んでも大丈夫なの?」
「だめでしょ!でもあいつらバカでしょ、お金ないでしょ、仕方ないでしょ」
すべて同じような答えになってしまう。実際彼等の生活はそれ以外の選択肢はほとんど無いわけだし生活が荒んでいくのは仕方ないことだ。この国の一般的市民は極貧の生活なのだから。
すると子供のウェイターが料理を運んで来てくれた。
「ここの食堂で働いてる人は、時給いくらだと思う?」アーロンさんが尋ねてきた。いったいいくらだろう?。
「だいたいね、日本のお金でね1円よ」
えっ1円!!なの、、絶句。
いくら物価が安いとは言え過酷だ。この国では普通の人が今の生活から這い上がるなんてほとんど不可能に近い。しかし貧困と人口爆発がつねに起こっているこの国では、職があるだけまだましなのかもしれない…。

日本に渡りサクセスストーリーを手に入れたアーロンさん。過酷な条件で生きるバングラの人々にとって日本は夢のような国なのかもしれない。
ここに比べると、おとぎのような国である日本で俺達はなんて贅沢をしてしまっているのだろうか!。




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